国産アボカド導入の歴史
こんにちは!
今回は日本にアボカドが導入された歴史に関してです!
実はアボカドの導入は歴史が長く、たくさんの人が栽培に挑戦していたみたいです。
今回はそのことについて書いていきたいと思います!
明治時代にアボカドは導入されていた?!
日本にアボカドが初めて導入されたのは、明治初期に当時の台湾領へメキシコ産のアボカドの苗木が寄与されたときでした。
その後、明治35年(1905年)には新渡戸稲造博士によりオーストラリアから輸入された苗が台北植物園に植えられたという記録もありあます。残念ながらどちらもすぐに枯れてしまったらしいのですが。
出典:wikipedia
新渡戸稲造が台湾にいた間にアボカドを導入しようとしていたとか、なんだかびっくりなのは私だけでしょうか……
実際に日本本土にアボカドが導入されたのはそのあとで、1915年に静岡県興津にある農水の果樹試験場にアメリカ農務省のW.J.Swingle博士がアボカドを寄付したのが最初だそうです。ちなみに、これも対象の終わりに寒波で枯死してしまいます。
その後、昭和初期から静岡や鹿児島、愛媛、高知、香川、和歌山など比較的温暖な地域で栽培が試みられました。しかし、このようにして導入されたアボカドの多くも寒害や台風、根腐れなどが原因で枯死してしまいます。
引用文献:井上弘明,山田寿樹,高橋文次郎(1982)「アボカドの導入と栽培現況」,『農業および園芸』57(11), pp1394-1398
寒波や台風を耐え抜いたアボカドの木は「フェルテ」が多かった???
そのような中、数十年もの間、寒波や台風に耐えた木があったようなのですが、
古い文献などによると、和歌山県や静岡県、鹿児島県などで共通して「フェルテ」という品種が残ったようです。
ここで「フェルテ」の説明を少しだけすると…
1913年にカリフォルニアで育種された品種で(メキシコ系とグアテマラ系の交雑種)寒い気候を耐え抜いたことから、「フェルテ(強いという意味)」という名前になったそうです。
また、食味に関しても高く評価されており、アメリカでは一時期、主要品種となっていたらしいです。1930年代に輸送に向いたハスが入ってくるまでは……(ハスは皮がゴツゴツしてて黒くなる品種。現在国内のスーパーなどで販売されているのもほとんどが外国から輸入されたハスです。)
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樹のかたちは大きく広がるような感じで枝は横へ伸びていきます。
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国内で長い間生き延びたフェルテの中には台風で根元から傾きながらも、その後も結実し続けたという樹があったそうです。たしかに…台風が来ても倒れなさそう…ていうかすでに倒れてる…?
引用文献:米本仁巳・岡田正道 1995. 平成6年度導入果樹品種特性調査事業報告書(アボカド).日本果樹種苗協会(東京)
なぜ、フェルテが多く残ったのか?ということに関しては
おいしかったから大切に育てていたとか
樹が強かったからとか
そもそも導入した数がほかの品種より圧倒的に多かったとか
いろいろなことが考えられますが、
長い間、様々な障害を乗り越えながら生き残ったことには間違いありません!!!
偶然だとしてもすごいですね。
まとめ
日本のアボカド栽培の歴史は実は長い。
「フェルテ」という品種が多く生き残っている記録がある。
※ちなみに今はフェルテのいいところばかり書いたのですが、隔年結果性が強い(収量の多い年と少ない年が極端)、種なしの果実(cuke)が多いという欠点もあるらしいです…