世界中で食べられているアボカドの品種、ハス種は実は〇〇だった?!③
こんにちは!
今回で最終回にします!!!
多分ここから読んでもまったく意味不明な感じになってしまうので……
ぜひぜひ前々回、前回の記事をみていただきたいです!
では!続きです……
※こちらが引用文献
この正体不明の実生樹はフェルテよりもはやく成長し、そしてフェルテよりもまっすぐ成長しました。
問題だったはずの木は結実するまで時間がかからない上に狭い範囲にたくさん植えられるというなんともコスパのいい木だったのです。
年々たくさんの実が採れるようになるとハス氏はそのアボカドを消費しきれなくなり、同僚に4-5個を※1ドルで売るようになりました。
売ったアボカドはいつもすぐにさばけたので、ハス氏はこの木を接ぎ木してふやし、家の前のスタンドで妻と子どもに収穫と販売を手伝ってもらいました。
さらにハス氏がこのアボカドを食料品店にも卸したところ、そこのお客さんは裕福だったこともあり、この新しいアボカドは1個※1ドルという高額で売れました。
(※この当時の1ドルは2007年の15ドルくらいに値する)
1935年にハス氏は17年期限の植物特許をとって、この新しく登録した品種に自分の名前をつけました。同じ年にハス氏はブロコウ氏という苗木屋と契約して、ハス(品種)を増やして売ってもらいました。苗木は1本5ドルで販売し、売上の25%はハス氏に75%はブロコウ氏がもらいました。
この木はとても人気があったものの売上自体は4800ドルにとどまりました。というのも、多くの栽培者は1本だけ木を買ったらその木からほかの木に接ぎ木をしていったのです……
ハス(品種)は1940年代後半にはイスラエルに導入され、1952年にはその特許も切れてしまいました。
特許が切れてまもなくハス氏は亡くなってしまいました。
ときがたってハス氏の果樹園は住宅街になってしまいましたが、もととなる母樹は2002年に根腐れにあってしまうまで生き延びたという記録が残っています。
ブロコウ氏のおいが、がんばって木を救おうとしたものの木は枯れてしまいました。しかし、その木の材木は今もブロコウ氏の苗木屋に保管されており、また、一部はハス氏のおいが記念品に加工して家族やアボカド生産者の会に向けて配りました。そして、もともと、母樹があった場所には今は記念板があるそうです。
Photo of A.R. Rideout. Courtesy the Hofshi Foundation.
ライドアウト氏の写真(最初の方にでてきた……)
終わり
(引用元のページを
ほぼほぼそのまま和訳してしまったので
なんだかたどたどしくなってしまいました……
あれ?ってなった方は
原文でお楽しみください。)
まとめ
世界中で食べられているアボカドの品種、ハス種は実は実生樹だった。
今は世界中で食べられているアボカドの品種がこんな感じで誕生していると思うとびっくり!!!ですね。
また、直接は関係ないですが……
接ぎ木とか、苗を作るとか、
イマイチぴんときにくいことを
少しでも理解していただけた方がいたら
うれしいかぎりです!
長かったですが、さいごまでよんでいただき
ありがとうございました!!!